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2024年12月23日
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品川妄想駄文
2011年07月19日
品川っつーかオアイーブの事考えてたら朝からカッカッしたのでギャーと書きます。
茨道な上に捏造の人間関係なので畳みます。すいません。捏造すいません。
茨道な上に捏造の人間関係なので畳みます。すいません。捏造すいません。
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マジ駄文
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ワグナスを探し廻って、居ない事に絶望して、また探して、消滅したのわかってるのに、ワグナスが何処にも居ない事を自分に思い知らせても全く思い切れなくて、ただ悲しくて寂しくて探さずにはいられない不毛な事をしてしまう愚かさがオアイーブにあったら可愛いのにな、と。
砂漠でワグナスの縁があるもの探して、存在自体がまるで無かったみたいに消え切っている事に絶望して、悔恨や憧憬に綯交ぜになってるオアイーブのイメージが膨らんでなんかカッとした!
滅びの足音のする砂の都で、どんなに終わりを肌で感じても、どんなに脅威に晒されても、敵に滅ぼされる前に内から崩れて行こうとしても、要らない種だからって滅んでる場合じゃ無いし、目の前に生きて温かい人が居てくれる以上は滅びに抗うのは当たり前で、図抜けた力を持つなら躊躇わず使うし、太刀打ち出来ない力には工夫を重ねて何とか生き延びる方法を模索する。生き延びた先の事なんて考えてられないけど、多分ワグナスは考えると思う。図抜けて賢いから見限り見限られる事に途中で気付いて、敵を屠り民を救いながらも何時か裏切る民衆の愚鈍さと弱さを軽蔑してたりしたのかなーと。目の前に温かく動く守りたかったものを守れているのに軽蔑しなくてはならないなんてキッツイなーと。図抜けているという事は悲しいな。と。
別にカプとしてワグナスとオアイーブがどうこうある訳ではなくて、一方的なオアイーブの憧憬で、ワグナスを知った時からずっと好ましく、頼もしく、自分も何時か支えになれはしないだろうかという思いを温めていたのに、気付いたら戦乱に突入してしまってて、そんな中でも支えようとアレコレ頑張るんだけど、外敵を屠りつくして一応の平穏を取り戻した途端に、戦いの途中で自分たちとは桁違いの力を得てしまった七英雄を恐れて排除しようとする民衆にワグナスと引き離されてしまった、という感覚でずーっと生きてきて、民衆の厚顔さ無知さをずっとずっと憎んでいるのじゃないかと。当のワグナスは憎んでも無いのにオアイーブは憎んでいるんだと思う。ワグナスに対する憧憬の気持ちが民衆を憎ませるのじゃないかと。
一方で、民衆に裏切られて失意の中の7人は100年くらい経つとその内好き勝手な事をし始める訳で、持て余す程の力と長い生に飽いて倦んで澱んで、でも死にたい訳じゃなくて、ただただ暇潰しをしている内に1000年とか経っちゃってる感じで、ワグナスも飽いたり倦んだりしながらも隠者の様な生を過ごしていたのではないかと。オアイーブは憎みつつも見放す事の出来なかった民衆を滅ばない程度に導きつつ、傍観して生き長らえる自分の空虚さを疎んでいるんだけど、死んでもしょうがないので生きている日々、とかそんな感じ。
基本、七英雄もアオイーブも「死んでもしょうがないので生きている日々」なんじゃないのかな、と。
終わらないから終わらせたくなったら自分で終わらせよう、とかそんな感覚で生きていて、あんまり退屈な人生だから暇潰し半分、本気と狂気が半分、な感じで自分達を生んだ世界に復讐を始めたのではないかなーと。
オアイーブはワグナス達が終わる覚悟で始めた事ならば、自分が終わる術を差し出したい、という気持ちで人間に助力しただけで、、決して人間の味方という訳では無く、ただただワグナス大事だった、という真相。
たまたま利害が一致したただけで、どちらかというと人間を利用してワグナスの動向を探ってみたり、戦いの最中でワグナスが何か心変わりして、心穏やかに過ごしていけそうな片鱗が見えはしないかと縋る気持ちで居るんだけど、なんやかんやでもう引き返せない所まで来てしまって、終わらせるしかない諦念で最期も人間に助力する、という流れ。
七英雄消滅後は消滅したワグナスを偲ぶものを探して彷徨う日々で、何にも憎みもせず、ただ世界に弾かれてしまったワグナスが悲しくて寂しくて自分だけでもワグナスを慕い続けようと、自分が死んだ先は誰もワグナスを知らないけれどそれはそれで仕方が無いから、自分が生きている以上は慕い続けようと、喪す事で慕う事だけ考えていられる幸せと不幸せ、そういう終わり。
叶わなかった本当の願いは、堂々と誇らしく思える様なワグナスの支えの一つとなって、隣に居る事は叶わなくても、ワグナスを心から慕っている事が公然と受け入れられる世界で、民衆を憎む事も無く毎日を楽しいとか嬉しいとか好ましいとか良い気持ちで満たして生きたかった事で、叶わ無かった事を考えても仕方が無いから考えないけど、そういう想像をしてキツイ思いしてしまったりした日もあるのかなーという妄想。
取り留めないぶっ散らかった文章だから後で読み返すとき大変だろうなーと思うけど、書いてそこそこスッキリした、うん、七英雄大好きだ。
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マジ駄文
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ワグナスを探し廻って、居ない事に絶望して、また探して、消滅したのわかってるのに、ワグナスが何処にも居ない事を自分に思い知らせても全く思い切れなくて、ただ悲しくて寂しくて探さずにはいられない不毛な事をしてしまう愚かさがオアイーブにあったら可愛いのにな、と。
砂漠でワグナスの縁があるもの探して、存在自体がまるで無かったみたいに消え切っている事に絶望して、悔恨や憧憬に綯交ぜになってるオアイーブのイメージが膨らんでなんかカッとした!
滅びの足音のする砂の都で、どんなに終わりを肌で感じても、どんなに脅威に晒されても、敵に滅ぼされる前に内から崩れて行こうとしても、要らない種だからって滅んでる場合じゃ無いし、目の前に生きて温かい人が居てくれる以上は滅びに抗うのは当たり前で、図抜けた力を持つなら躊躇わず使うし、太刀打ち出来ない力には工夫を重ねて何とか生き延びる方法を模索する。生き延びた先の事なんて考えてられないけど、多分ワグナスは考えると思う。図抜けて賢いから見限り見限られる事に途中で気付いて、敵を屠り民を救いながらも何時か裏切る民衆の愚鈍さと弱さを軽蔑してたりしたのかなーと。目の前に温かく動く守りたかったものを守れているのに軽蔑しなくてはならないなんてキッツイなーと。図抜けているという事は悲しいな。と。
別にカプとしてワグナスとオアイーブがどうこうある訳ではなくて、一方的なオアイーブの憧憬で、ワグナスを知った時からずっと好ましく、頼もしく、自分も何時か支えになれはしないだろうかという思いを温めていたのに、気付いたら戦乱に突入してしまってて、そんな中でも支えようとアレコレ頑張るんだけど、外敵を屠りつくして一応の平穏を取り戻した途端に、戦いの途中で自分たちとは桁違いの力を得てしまった七英雄を恐れて排除しようとする民衆にワグナスと引き離されてしまった、という感覚でずーっと生きてきて、民衆の厚顔さ無知さをずっとずっと憎んでいるのじゃないかと。当のワグナスは憎んでも無いのにオアイーブは憎んでいるんだと思う。ワグナスに対する憧憬の気持ちが民衆を憎ませるのじゃないかと。
一方で、民衆に裏切られて失意の中の7人は100年くらい経つとその内好き勝手な事をし始める訳で、持て余す程の力と長い生に飽いて倦んで澱んで、でも死にたい訳じゃなくて、ただただ暇潰しをしている内に1000年とか経っちゃってる感じで、ワグナスも飽いたり倦んだりしながらも隠者の様な生を過ごしていたのではないかと。オアイーブは憎みつつも見放す事の出来なかった民衆を滅ばない程度に導きつつ、傍観して生き長らえる自分の空虚さを疎んでいるんだけど、死んでもしょうがないので生きている日々、とかそんな感じ。
基本、七英雄もアオイーブも「死んでもしょうがないので生きている日々」なんじゃないのかな、と。
終わらないから終わらせたくなったら自分で終わらせよう、とかそんな感覚で生きていて、あんまり退屈な人生だから暇潰し半分、本気と狂気が半分、な感じで自分達を生んだ世界に復讐を始めたのではないかなーと。
オアイーブはワグナス達が終わる覚悟で始めた事ならば、自分が終わる術を差し出したい、という気持ちで人間に助力しただけで、、決して人間の味方という訳では無く、ただただワグナス大事だった、という真相。
たまたま利害が一致したただけで、どちらかというと人間を利用してワグナスの動向を探ってみたり、戦いの最中でワグナスが何か心変わりして、心穏やかに過ごしていけそうな片鱗が見えはしないかと縋る気持ちで居るんだけど、なんやかんやでもう引き返せない所まで来てしまって、終わらせるしかない諦念で最期も人間に助力する、という流れ。
七英雄消滅後は消滅したワグナスを偲ぶものを探して彷徨う日々で、何にも憎みもせず、ただ世界に弾かれてしまったワグナスが悲しくて寂しくて自分だけでもワグナスを慕い続けようと、自分が死んだ先は誰もワグナスを知らないけれどそれはそれで仕方が無いから、自分が生きている以上は慕い続けようと、喪す事で慕う事だけ考えていられる幸せと不幸せ、そういう終わり。
叶わなかった本当の願いは、堂々と誇らしく思える様なワグナスの支えの一つとなって、隣に居る事は叶わなくても、ワグナスを心から慕っている事が公然と受け入れられる世界で、民衆を憎む事も無く毎日を楽しいとか嬉しいとか好ましいとか良い気持ちで満たして生きたかった事で、叶わ無かった事を考えても仕方が無いから考えないけど、そういう想像をしてキツイ思いしてしまったりした日もあるのかなーという妄想。
取り留めないぶっ散らかった文章だから後で読み返すとき大変だろうなーと思うけど、書いてそこそこスッキリした、うん、七英雄大好きだ。
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