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2025年01月03日
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心の中で手紙を書きます

2009年07月31日
傷を舐め合う様だと受け取られたら、と思うと怖い
一瞬でも打算が掠めなかったと言い切れない自分も許せない
何より上手く伝えられる自信も無い

でも、伝えたいと思うなぁ、と

きっと上手く伝えられないからそんな時はいつも心の中で手紙を書きます。
それが何になる訳でもないんだけど。
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祖母の命日が近いのです。



最期を看取る事が出来たのは自分にとって良かった事か悪かった事か10年たっても解らないけど今になって思うのは、祖母は自分に看取られて逝きたいと思ってくれたのかもな、という事。是ばかりは多分きっと勘違いじゃ無い。


祖母と自分の関係はとても深かったし、縁も家族で一番深く、祖母の自分に対する煩悩も孫の誰よりも一番深かったと自負しています。

貰うばかりだったんだけど。



入院先で何年も意識が無い状態が続いて、ずっと覚悟はしていた状態だったんだけども
突然意識を取り戻して家に帰って来て元気に油揚げを作ってくれて
なんかもうアホ美味しくて本当にアホみたいにウマウマ食ったんだけど

それが最期のばぁちゃん料理で、アタシが美味そうに食うのをニコニコして見てて
その次の日に意識が混濁して三日後に入院先で亡くなりました。





意識が無く機械で命を繋いでいる状態が見ていて辛かったのもあるし
それはもう生きているとは言えないのではないかと思ってしまう自分が居るし
諦観していなかったとは決して言えない自分も居て

誰も居ない病室で臨終の頃の祖母と二人きりで思う事と言ったら
「早く楽に成れたらいいのに」とかそういう事だった様に思います。







どうだアタシは薄情だろう、諦めて受け入れるのが上手だろう、と自暴自棄になりはするけど
矜持も高けりゃ親戚に弱みも見せない上手くも立ち回れない糞餓鬼は
突っ張りまくって頑なで儀式的に送る事ばかりに囚われてちゃんと悲しめたか今でも自信が無い。

送る事とは儀式の事ばかりではないのにね。

もっとちゃんと悲しんで惜しんで寂しいと思えばよかったのに、と今なら思えるけども
四十九日過ぎてから突然引き篭もって酒毒に溺れて煙草ばかり吸って無気力に過ごすなどという間違った方向でしか悲しめなかった自分は本当に救いがたい馬鹿餓鬼だと思います。

何故自分は全うでは無いのかと当時散々思ってましたが、今考えても悲しみ方が阿呆としか言い様が無い。




悔いは多いのです、勿論。

ただ、今まで何人か見送った上で思うことは

悔い無い事は無いのではないかと

出来る事は悔いを少なくする事で、自分が納得出来る様に見送る事なんじゃないかと。



心から冥福を祈って、出来るだけ心配をかけない様な生き方をして見せるのが良いのではないかと。


なんかそう思うのです。






間違った送り方、阿呆な悲しみ方、諦観が過ぎる臨終、悔いは多いし己を赦せない気持ちで今まで生きてきたけども出来たら全てを赦そうと思う。すぐは無理でも、自分が死ぬまでに赦せたら良い。



うん、まあ、割と信心深い方なので八月は大事な月ですね。

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